ハレとケ。

2006年5月12日 日常
■ハレとケ。
"ハレとケ"という言葉が気になって調べてみた。
ハレと言う言葉は、「ハレの席」や「晴れ着」という言葉で耳にしたことがあるけれど
"ケ"っていったいなんだっけ?

乱暴に言ってしまうとハレは非日常の状態を指し、ケとは日常を指す言葉なのだそうだ。
日常はケの状態である。
しかし単調な日常の中ではケを生きる活力がだんだん失われてゆき、やがてケが枯れた状態、つまり"ケ枯れ(ケガレ)"た状態となる。
ハレはその逆で冠婚葬祭をふくむ非日常。
祭りなどの"ハレ"はケガレを祓い、心身をリフレッシュさせ、ケ(日常)を生きる活力を補うのだという。

ケガレ・・・?その言葉なら自分も聞いたことがある。
ケガレとは非日常の現象によるモノじゃなく日常生活の積み重ねが生む垢みたいなもんということだ。言葉の持つ本来の意味を知ってちょっとびっくり。ちょっとイメージと違った・・・。

さて、調べるうちに現代ではそのハレとケが曖昧になっているという記事を見つけた。
昔はそれこそ娯楽やイベントが少なかったので冠婚葬祭などのハレ以外、それはそれは単調な労働が続く状態がケであったという。
人はケの中にハレを求めていた。
しかし現代、世の中は多くの娯楽やイベントといったハレに溢れている。テレビなどのメディアは毎日のように人をハレの世界へ誘い、人はちょっとやそっとのことで非日常を感じたりはしなくなっている・・・その記事ではこのようなことがかかれていた。

たしかに、いまどき町内会の盆踊りや運動会に非日常を感じ、熱狂を感じる人は多くないだろう。それどころかもううんざり。リフレッシュできないどころかストレスが溜まる・・・・。そんな感じすらある。
自分も、昔ならハレと感じていたことが今となってはケのなかの煩わしさの一つに成り下がっている。非日常が日常化してしまい、非日常の感動は失われてしまっている。
昔は平穏の中に興奮を求めていたのが今では興奮の中に平穏を求めている。ハレの中にケを求める、そんな感じにさえなってしまっている。

ハレで飽和してしまうと人はどうなってしまうのか。
ハレは非日常という刺激で人に活力を与えるが、非日常の刺激ばかりでも人はストレスを感じてしまう。

では非日常のストレスが溜まってハレを生きる活力が枯れたら?
・・・日常の中に安らぎと平穏を求めるか、さらに強いハレを体験しそれを日常化してしまうしかないだろう。
どちらが枯れても人はダメになってしまう。
人が生きるにはハレもケも無ければだめということだ。

(尻切れトンボだけど一旦保留。)

■eラーニングによるビジネススキルUP
ブレアの唐辛子ソースに関する検索でこの日記を見つける人がいまだに多く、
毎日のように関連する検索がアクセス元記録に残っています。
しかし彼らは同時にこういう記事も見つけているようです。

http://businessskillup.blog40.fc2.com/blog-entry-84.html

料理人が変わると素材もえらく変わるもんでデスソースの話がビジネスの話になってます。

■やった!明日はお休みだ!。
日曜日が出勤なんだけどな・・・orz。

■体重
5/12 15:00 78.0kg  ・・・減らなくても仕方ないけれど増やしたくはないなぁ。

麺屋 宝

2006年5月12日 グルメ
ナモに随分以前に紹介してもらった田無のラーメン屋。
長い間行きそびれていたのだが、たまたま会社を定時で上がったので寄ってみることに。(実は数日前にもお店の前を通っているのだがそのときはよりによって「スープの出来がよくないため本日お休み」だったのだ。)

18:00過ぎにつくと既に並びが出来ている。
並んでいる人に聞くと第一陣が中に入ったところらしい。
窓から中を覗くと…あれ?ここのマスター、大泉十兵衛にいた人じゃんか。
ラーメンメニューはらーめん600円とつけめん700円のみでその他は
チャーシューごはん150円とトッピングがいくつかあるのみ。

期待をこめて注文したのはつけめん+お宝とチャーシューごはん。

出てきたつけめんは極太平麺にゼラチン質なとろみが感じられる濃厚とんこつと魚粉の香りが効いたスープ。
どことなく十兵衛似てるような気もするが十兵衛がほっとする味なのに対しこちらはガツンと来る味。
いや、結構好みデス♪
もちもちの麺と気合たっぷりのスープをすする。
麺の量はつけ麺だと若干物足りなくなってしまうので大盛りにしたほうがいいかもしれない。あっという間に麺がなくなってしまう。
つけ麺の最後はスープ割り。
魚介系のあっさりダシで割ってくれるスープをちびちびとすすりつつ。
チャーシューごはんも平らげる。

うん。リピートにきていいかも。

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