2CHD疫病キャリアの証言(パワー9病について)
2012年8月22日 ゲーム コメント (11)すこし前のネタの日記から。
http://43458.diarynote.jp/201208062150437277/
>ぅららの罪を再確認
>・うららと言う名の蛇が2chdメンバーに禁断の果実を与える。
>以後パワー9病と二郎病という二大疾患が2chd全体に広く蔓延する
この件に関する証言。
事件モノのドラマのように「10年前のあの日」を正確に記憶するほどの脳味噌は持っていない。なので、かなり記憶があいまいなところでの話だがそのころの記憶と感情を可能な限り正直に書く。
ナモ、Rebさんにとってはあまり面白い話でない部分もあるが許してほしい。
また当時の掲示板などに書かれていることは「空気を読まざるを得なかったのでに作られた人格で書いている」部分が多い。掲示板などと言ってることが違う!という突っ込みはその手の事情があったと思ってほしい。
■パワー9病について。
<2CHDへのかかわりについて>
自分が2CHDに参加したのは、アプサラスさん(AP)主催の本八幡のイベントが初。
おそらく2003年の冬。
名もなき者さん(ナモ)にPhyrexian Warbeastをスライドさせられて泣いた記憶が残っている。
→全然違っていた。
2003/7/13の池袋東口が初だった。
緒戦はナモであっている。
当日の参加はRebecca,ネタ,ナモ,MM,煩悩魔人,山崎拓,ネカマじゃない人...といった面々。
イベント終了後のサイゼリアにて。
「はるぅららは俺。」
「!!!!!」
「ハンドルネーム、MtG関係だけでも5つくらいあってわりと使い分けてる。
とりあえず差しさわりのない「もみじ」でいくわ。」
・・・・ナンジャコノヒト???
<調布はすでに感染者だらけ。>
注:
荒川より調布のほうがずっと後だと記憶していたが、
どうやら調布は2CHD初参加直後の2回目らしい。
2回目にしてP9満載デッキを使っていたということは
・調布では鉄人構築系は常にガチで行なわれている、という文化に合わせた。
・単に自分が壊れていた
のいずれかだ。
そのころ、というかずーっと、だったのだけれど掲示板はType-A,Type-Bの議論が面倒くさいことになっていた。
自分が初めて2CHDにP9を持ち込んだのは2003/7/20の調布。
P9をフルにぶち込んだMask-Dread。
T1が普通に行われている調布のことだ。
「空気嫁」はなかろうと遠慮せずにぶち込んでみたと記憶している。
このときは何人かを瞬殺したが、水戸のエリエール店長駆る合同勝利-クロウマトに惨敗。
オポ差で4位だったはず。(→とおもったら2位だったようです。)
さすが調布だ。なんともn。。。
あまり嫌な顔はされなかったと記憶している。
池袋系の人の反応は覚えていない。
(というか池袋系の人の顔もあまり覚えていなかった)
ここでの感染者は出なかった、というより既に感染・発症している人ばかりだったのだと理解した。
つまり掲示板の反応は見知らぬカードへの恐怖耐性の問題だ、と。
<荒川2chだーと>
2003夏か秋。
2CHDに参加し始めて2CHDへの参加も定期的になった。
山崎拓こそ真の漢主催の荒川2CHだーと(荒川は「だーど」ではなく「だーと」)が開催された。
やはり畳敷きの会場。
そこではLumiSさん(だっけ?)と、彼が連れてきた「米軍基地とかかわりのあるお友達」が会場の隅でトレードに励んでいた。
横目で見ていると普通にデュアランやP9が行きかっている。
・・・え????マジ?
彼らはT1で遊んでいた様な気もする。
とにかく2CHDの参加者の中にT1資産を所有する人がいて、それを会場に持ち込んでくる「勇気がある人」がいた。2CHDに参加し始めてそれほど間もない自分には「2ch経由で知り合ったあやしいかもしれない人たち」にリアルP9を晒す勇気もなかったし、「空気嫁」がうるさい中でそんな面倒くさいものを持ち込む気もなかった。
そんなもの「すごいねー」で済ませておけばよかったのだ。
が、現場にいた常連の反応は否定的なものではなかった。
むしろ興味津々というか憧れの眼差しだったように記憶する。
・・・えーと。みんな空気読んでるんじゃなくて持ってないから持ち込めないだけだろ?
実際にそうだったとしてもなにか間違っている。
おそらく池袋-本八幡-荒川系の2CHDのイベントにリアルMoxが持ち込まれたのは、この「荒川2CHだーと」ではないかと思う。
それ以前というところでは、調布ではもともとT1が定期的に行われているし、あるいは池袋系でもMMさんあたりが既に持ち込んでいたかもしれないが自分の記憶にはない。
実をいえば、2CHDに参加するころにはP9は一式(一枚ずつ)揃っていた。
しかし「空気嫁」の雰囲気の中、あるいは「見知らぬ人に資産をさらす場ではない」という自制心からで持ち込みをためらっていたように思う。
それが荒川で壊れた。
・・・ああ、持ち込んでもいいんだ。
なぜこんな発想になったのかはわからない。
タガが一つ外れた。
<プロキシMoxセラマゲドン事件>
確か池袋東口の会場だったと思う。
気が付くと名もなき者(ナモ)さんがRebeccaさんにえらい剣幕で説教している。
Moxプロキシが4枚のセラマゲドンに「空気嫁」と言ってたと記憶している。
が、自分はこの人たちのいざこざに関わりたくなくて聞こえないふりをしていた。
・・・Rebeccaさんもプロキシ使わなきゃいいじゃん?
持ってる資産を有効に使うのが2CHDなんでしょ?
自分の当時の考えはこうだ。
○P9は無制限Type-Aで許されるか。
→YES。が、何をやってもいいかというとそうではない。
○プロキシは?
→社交の場でプロキシ使うのは学生さんならともかく大人の対応ではない。
そんなのはApprenticeやMWSでやればよい。
(が、正直言えば自分が2CHDでプロキシを使ったことが1回ある。)
この事件は自分にとってかなり尾を引く記憶となる。
注:
1.ナモとRebさんがコメントフォローしてくれているが、当時から2人の考えはずいぶん違っている印象があった。
Rebさんは、「(自分のしたいことならなんでもできる)自分の遊び場としてのゆるいOff」を作りたかった、というような話をチャットの会話で覚えている。ゆえに、イベントルールに不都合があったとしても別に気にしたくなかったし、そもそもルール議論にも巻き込まれるのを嫌っていたように思う。
一方ナモは2CHDの文化をもっと広めたくてそれなりに厳格なルールのある2CHDを目指したかったのではないかと思う。ゆえにルールの不備は我慢できなかったし、それを「主催がのびのびと悪用する」ことに危機を持っていたのだろう。
ルールに関しては自分はナモに近い考えを持っていた。
自分のイベントでのルールはきっちり整備したかったし誰もが覚えやすくするために試行錯誤した結果、Type-Aレガシー縛りを提案しそれに落ち着いた。
しかしこのルールは関東の2CHDにレガシーという言葉を意識させることになってしまった気もする。
レガシーと2CHDが両立していればよかったのだがその後の結果は残念ながら皆が知っている通りだ。
2.ちなみに↓をみてもわかるが、RebさんはSol Ringが好き。
・・・いや、本当に大好きだった。
一方その脅威を知っているナモは非常に危機感を抱いていた。
太字だったり管理人注としてナモが突っ込みを入れているのが読み取れる。
mtg.from.tv/2chd/deck/deckrib_A1.html#A04
・白茶セラマゲドン(UN-MI-US) builder:Rebecca氏 date:08/30
・磯黒ブーメランMMR仕様(MI-MR-RV)。 builder:Rebecca氏 date:12/03
3.ちなみにここでも自分のハンドル名は安定していない。
2CHDでは結局、もみじや・紅葉屋/楓屋、はるぅらら、ほか2つくらいはあったと思うが今となっては覚えていない(ことにしておく)。
<古代パーミッション。おそらく最初の感染者。>
そして、2003/9/23。
池袋系のトーナメントにP9を持ち込んだ。
UN-Vin-IAの古代パーミッション。
Manadrain,Amnesia,Braingayser,Maze of Ith...という「若者置いてけぼり」のカードを詰め込んだデッキに、T1の制限カードを4枚入れてみた。
入っているのはA.RecallとTimeWalkが一枚づつ。あとGayserとStripmine。
この日はトーナメント形式だったということで、下記のような考慮があったと記憶する。
・無制限Type-AのトーナメントにP9を投入したらどんな反応が出るか試してみたかった。
・が、やりすぎると嫌われる。あまりしょっぱなから枚数をぶち込むべきではない
・当時都合よく、T1制限をどのように扱うかの議論が掲示板にあり「じゃあ4枚までってのはどお?」という提案とあわせて言い訳にしよう。
・新しいカード(当時ならODY-ONSあたり)は自分はわからないので古いカードで若者をかく乱しよう。
ちなみに直前の荒川にも類似したデッキを持ち込んでいるが荒川はType-BなのでP9は入っていない。
このデッキへの反応も悪くなかったように思う。
1枚づつしか入っていないA.RecallとWalkも注目を集めたが、活躍しなかったせいか過剰な反応はなかったように思う。
むしろ緒戦でAmnesiaとIthが会場の爆笑を誘ったことで注目を集めた。
もしAPが発症せずとも感染していたとしたらこの頃かもしれない。
<池袋2CHD(Type-A、無制限)での究極を目指す。>
そのころを境に「P9も本当なら4枚でワンセットだよね♪」
などとろくでもない発想が自分に芽生える。
どうせ、2CHDのイベントにしか参加しないのだ。
その中でも一番のメジャーである池袋2CHDでの"究極"を作りたかった。
(まだ池袋独自の制限カードは制定されていなかった)
A.Recall,TimeWalk,Twister,Mox:U,Alexを4枚ずつにそろえ始めた。
タガは完全に外れていた。
そして。。。。。
必要なものがそろってしまった。
準備は整った。
<島が足りなければMoxを入れればいいじゃない:第2の感染者と発症。>
たしか神河最後の頃だったと思う。
(前後関係が判る人がいれば教えてほしい。)
「島が足りなければMoxを入れればいいじゃない♪」デッキを作った。
自分なりの「究極のType-A」だった。
Type-Aは資産がある限り自由に組める。
それを試せる場としてRebeccaさんは無制限のままType-Aを運営している。
そう解釈していた。
が、このデッキには「プロキシMoxセラマゲドン」への回答、という意味も含まれていた。つまり件の事件はここまで足を引っ張っていた。
デッキリストは過去に晒しているので割愛する。
http://hrurr.diarynote.jp/201005282002323916
そういえば、このデッキの緒戦を務めてくれたのはAPが初ではなく、
たぬきさん主催のイベントで初対面だったP一郎さん(P一郎)だったかもしれない。
この辺りはひどく記憶が前後していてネタが自分からデッキを奪って相手にしたのはAPではなくこんただったような気もしてきてますます記憶が怪しい。
とはいえさすがに、このデッキのインパクトは(自分にとっても)強烈だった。
プロキシのMoxとは全然説得力が違った。
そして感染どころか発症する者が出た。
P一郎が感染したとすれば多分初対面の上記イベントだ。
注:
ネタの日記を見ると↓の日付の模様。
43458.diarynote.jp/200503271539290000/
ネタの日記を
自分以外の池袋系参加者4人くらいを含む15人くらいのイベントだったと記憶する。
P一郎に出会った。
「とっておきのネタデッキなんで笑って済ませてください」
「いいですよ、こっちも思いっきりネタなんで」
とお互い挨拶を交わす。
が。数分後、Mox:UとAlexが複数並び、Brainstormの代わりに打たれるA.Recall。
「池袋系2CHDの連中は狂っている」と思われたのは確実だがこっちもそのつもりでこのデッキを駆っている。
だが、これを前のめりに受け止めた彼もどうかしていると思う。
次の池袋からP一郎は2CHDの常連となった。
P一郎との前後関係が判らなくなっているが、ナモ・Rebさんが感染したとすればやはりこの頃だと思う。
ナモは"BigBlue"のミントクラスを一気にそろえたと嬉しそうにしていた。
Rebさんはナモと前後してちょっと見ない間に全部を揃えていた。
自分はこのデッキを「数回限りのネタデッキ」で済ますつもりだった。
2CHD以外のMtGイベントに参加しない自分にとって、2CHDの敷居が上がるのはよくないことだった。たまにこの手のデッキが「お互いの合意の上で辻斬り」するならジョークで済まされる。
しかし、当時の中心的主催であるRebさんや「ご意見番筆頭」のナモがうっかりP9を常用するようになったり、そうでなくとも会場のどこかで必ずP9が見られるような2CHDになってしまうと初見さんがビビッてしまう。
彼らがP9を買ったという話をしても内心危機感があった。
なので彼らの楽しそうなP9談義にはかなりそっけない態度を取った。
数回つかって「Moxを入れればいいじゃない♪」は2CHDには持ち込まなくなった。
池袋に「制限カード」が制定されたのはこのころと記憶する。
また、自分が主催した西東京の2CHDイベントではType-A+レガシー縛りを採用した。
このデッキは使える場所がなくなり、封印された。
<その後>
そのあとはあまり覚えていない。
仕事の都合もあり、2CHDへも疎遠になってきていた。
多分最後にP9を持ち込んだのは2007年の池袋イベントだったはずだ。
http://hrurr.diarynote.jp/200703102214460000/
レギュレーションの制限だったか、Rebさんの作成した
「池袋制限カード」への準拠だったかでT1制限は1枚づつ。
が、うっかり優勝してしまいRebさんが微妙に不機嫌だったと記憶している。
もしかすると、その時に感染した人もいるかもしれない。
が、このころはすでにP9持ちもMMと自分だけではなくなっていたし「ぅららのせいで」ではないと思いたい。
最後に一つだけ。
自分はT1のイベントに参加したことがありません。(え?)
以上が証言になります。
。。。。二郎病に関する証言はまたいずれ。
http://43458.diarynote.jp/201208062150437277/
>ぅららの罪を再確認
>・うららと言う名の蛇が2chdメンバーに禁断の果実を与える。
>以後パワー9病と二郎病という二大疾患が2chd全体に広く蔓延する
この件に関する証言。
事件モノのドラマのように「10年前のあの日」を正確に記憶するほどの脳味噌は持っていない。なので、かなり記憶があいまいなところでの話だがそのころの記憶と感情を可能な限り正直に書く。
ナモ、Rebさんにとってはあまり面白い話でない部分もあるが許してほしい。
また当時の掲示板などに書かれていることは「空気を読まざるを得なかったのでに作られた人格で書いている」部分が多い。掲示板などと言ってることが違う!という突っ込みはその手の事情があったと思ってほしい。
■パワー9病について。
<2CHDへのかかわりについて>
自分が2CHDに参加したのは、
おそらく2003年の冬。
名もなき者さん(ナモ)にPhyrexian Warbeastをスライドさせられて泣いた記憶が残っている。
→全然違っていた。
2003/7/13の池袋東口が初だった。
緒戦はナモであっている。
当日の参加はRebecca,ネタ,ナモ,MM,煩悩魔人,山崎拓,ネカマじゃない人...といった面々。
イベント終了後のサイゼリアにて。
「はるぅららは俺。」
「!!!!!」
「ハンドルネーム、MtG関係だけでも5つくらいあってわりと使い分けてる。
とりあえず差しさわりのない「もみじ」でいくわ。」
・・・・ナンジャコノヒト???
<調布はすでに感染者だらけ。>
注:
荒川より調布のほうがずっと後だと記憶していたが、
どうやら調布は2CHD初参加直後の2回目らしい。
2回目にしてP9満載デッキを使っていたということは
・調布では鉄人構築系は常にガチで行なわれている、という文化に合わせた。
・単に自分が壊れていた
のいずれかだ。
そのころ、というかずーっと、だったのだけれど掲示板はType-A,Type-Bの議論が面倒くさいことになっていた。
自分が初めて2CHDにP9を持ち込んだのは2003/7/20の調布。
P9をフルにぶち込んだMask-Dread。
T1が普通に行われている調布のことだ。
「空気嫁」はなかろうと遠慮せずにぶち込んでみたと記憶している。
このときは何人かを瞬殺したが、水戸のエリエール店長駆る合同勝利-クロウマトに惨敗。
オポ差で4位だったはず。(→とおもったら2位だったようです。)
さすが調布だ。なんともn。。。
あまり嫌な顔はされなかったと記憶している。
池袋系の人の反応は覚えていない。
(というか池袋系の人の顔もあまり覚えていなかった)
ここでの感染者は出なかった、というより既に感染・発症している人ばかりだったのだと理解した。
つまり掲示板の反応は見知らぬカードへの恐怖耐性の問題だ、と。
<荒川2chだーと>
2003夏か秋。
2CHDに参加し始めて2CHDへの参加も定期的になった。
山崎拓こそ真の漢主催の荒川2CHだーと(荒川は「だーど」ではなく「だーと」)が開催された。
やはり畳敷きの会場。
そこではLumiSさん(だっけ?)と、彼が連れてきた「米軍基地とかかわりのあるお友達」が会場の隅でトレードに励んでいた。
横目で見ていると普通にデュアランやP9が行きかっている。
・・・え????マジ?
彼らはT1で遊んでいた様な気もする。
とにかく2CHDの参加者の中にT1資産を所有する人がいて、それを会場に持ち込んでくる「勇気がある人」がいた。2CHDに参加し始めてそれほど間もない自分には「2ch経由で知り合ったあやしいかもしれない人たち」にリアルP9を晒す勇気もなかったし、「空気嫁」がうるさい中でそんな面倒くさいものを持ち込む気もなかった。
そんなもの「すごいねー」で済ませておけばよかったのだ。
が、現場にいた常連の反応は否定的なものではなかった。
むしろ興味津々というか憧れの眼差しだったように記憶する。
・・・えーと。みんな空気読んでるんじゃなくて持ってないから持ち込めないだけだろ?
実際にそうだったとしてもなにか間違っている。
おそらく池袋-本八幡-荒川系の2CHDのイベントにリアルMoxが持ち込まれたのは、この「荒川2CHだーと」ではないかと思う。
それ以前というところでは、調布ではもともとT1が定期的に行われているし、あるいは池袋系でもMMさんあたりが既に持ち込んでいたかもしれないが自分の記憶にはない。
実をいえば、2CHDに参加するころにはP9は一式(一枚ずつ)揃っていた。
しかし「空気嫁」の雰囲気の中、あるいは「見知らぬ人に資産をさらす場ではない」という自制心からで持ち込みをためらっていたように思う。
それが荒川で壊れた。
・・・ああ、持ち込んでもいいんだ。
なぜこんな発想になったのかはわからない。
タガが一つ外れた。
<プロキシMoxセラマゲドン事件>
確か池袋東口の会場だったと思う。
気が付くと名もなき者(ナモ)さんがRebeccaさんにえらい剣幕で説教している。
Moxプロキシが4枚のセラマゲドンに「空気嫁」と言ってたと記憶している。
が、自分はこの人たちのいざこざに関わりたくなくて聞こえないふりをしていた。
・・・Rebeccaさんもプロキシ使わなきゃいいじゃん?
持ってる資産を有効に使うのが2CHDなんでしょ?
自分の当時の考えはこうだ。
○P9は無制限Type-Aで許されるか。
→YES。が、何をやってもいいかというとそうではない。
○プロキシは?
→社交の場でプロキシ使うのは学生さんならともかく大人の対応ではない。
そんなのはApprenticeやMWSでやればよい。
(が、正直言えば自分が2CHDでプロキシを使ったことが1回ある。)
この事件は自分にとってかなり尾を引く記憶となる。
注:
1.ナモとRebさんがコメントフォローしてくれているが、当時から2人の考えはずいぶん違っている印象があった。
Rebさんは、「(自分のしたいことならなんでもできる)自分の遊び場としてのゆるいOff」を作りたかった、というような話をチャットの会話で覚えている。ゆえに、イベントルールに不都合があったとしても別に気にしたくなかったし、そもそもルール議論にも巻き込まれるのを嫌っていたように思う。
一方ナモは2CHDの文化をもっと広めたくてそれなりに厳格なルールのある2CHDを目指したかったのではないかと思う。ゆえにルールの不備は我慢できなかったし、それを「主催がのびのびと悪用する」ことに危機を持っていたのだろう。
ルールに関しては自分はナモに近い考えを持っていた。
自分のイベントでのルールはきっちり整備したかったし誰もが覚えやすくするために試行錯誤した結果、Type-Aレガシー縛りを提案しそれに落ち着いた。
しかしこのルールは関東の2CHDにレガシーという言葉を意識させることになってしまった気もする。
レガシーと2CHDが両立していればよかったのだがその後の結果は残念ながら皆が知っている通りだ。
2.ちなみに↓をみてもわかるが、RebさんはSol Ringが好き。
・・・いや、本当に大好きだった。
一方その脅威を知っているナモは非常に危機感を抱いていた。
太字だったり管理人注としてナモが突っ込みを入れているのが読み取れる。
mtg.from.tv/2chd/deck/deckrib_A1.html#A04
・白茶セラマゲドン(UN-MI-US) builder:Rebecca氏 date:08/30
・磯黒ブーメランMMR仕様(MI-MR-RV)。 builder:Rebecca氏 date:12/03
3.ちなみにここでも自分のハンドル名は安定していない。
2CHDでは結局、もみじや・紅葉屋/楓屋、はるぅらら、ほか2つくらいはあったと思うが今となっては覚えていない(ことにしておく)。
<古代パーミッション。おそらく最初の感染者。>
そして、2003/9/23。
池袋系のトーナメントにP9を持ち込んだ。
UN-Vin-IAの古代パーミッション。
Manadrain,Amnesia,Braingayser,Maze of Ith...という「若者置いてけぼり」のカードを詰め込んだデッキに、T1の制限カードを4枚入れてみた。
入っているのはA.RecallとTimeWalkが一枚づつ。あとGayserとStripmine。
この日はトーナメント形式だったということで、下記のような考慮があったと記憶する。
・無制限Type-AのトーナメントにP9を投入したらどんな反応が出るか試してみたかった。
・が、やりすぎると嫌われる。あまりしょっぱなから枚数をぶち込むべきではない
・当時都合よく、T1制限をどのように扱うかの議論が掲示板にあり「じゃあ4枚までってのはどお?」という提案とあわせて言い訳にしよう。
・新しいカード(当時ならODY-ONSあたり)は自分はわからないので古いカードで若者をかく乱しよう。
ちなみに直前の荒川にも類似したデッキを持ち込んでいるが荒川はType-BなのでP9は入っていない。
このデッキへの反応も悪くなかったように思う。
1枚づつしか入っていないA.RecallとWalkも注目を集めたが、活躍しなかったせいか過剰な反応はなかったように思う。
むしろ緒戦でAmnesiaとIthが会場の爆笑を誘ったことで注目を集めた。
もしAPが発症せずとも感染していたとしたらこの頃かもしれない。
<池袋2CHD(Type-A、無制限)での究極を目指す。>
そのころを境に「P9も本当なら4枚でワンセットだよね♪」
などとろくでもない発想が自分に芽生える。
どうせ、2CHDのイベントにしか参加しないのだ。
その中でも一番のメジャーである池袋2CHDでの"究極"を作りたかった。
(まだ池袋独自の制限カードは制定されていなかった)
A.Recall,TimeWalk,Twister,Mox:U,Alexを4枚ずつにそろえ始めた。
タガは完全に外れていた。
そして。。。。。
必要なものがそろってしまった。
準備は整った。
<島が足りなければMoxを入れればいいじゃない:第2の感染者と発症。>
たしか神河最後の頃だったと思う。
(前後関係が判る人がいれば教えてほしい。)
「島が足りなければMoxを入れればいいじゃない♪」デッキを作った。
自分なりの「究極のType-A」だった。
Type-Aは資産がある限り自由に組める。
それを試せる場としてRebeccaさんは無制限のままType-Aを運営している。
そう解釈していた。
が、このデッキには「プロキシMoxセラマゲドン」への回答、という意味も含まれていた。つまり件の事件はここまで足を引っ張っていた。
デッキリストは過去に晒しているので割愛する。
http://hrurr.diarynote.jp/201005282002323916
そういえば、このデッキの緒戦を務めてくれたのはAPが初ではなく、
たぬきさん主催のイベントで初対面だったP一郎さん(P一郎)だったかもしれない。
この辺りはひどく記憶が前後していてネタが自分からデッキを奪って相手にしたのはAPではなくこんただったような気もしてきてますます記憶が怪しい。
とはいえさすがに、このデッキのインパクトは(自分にとっても)強烈だった。
プロキシのMoxとは全然説得力が違った。
そして感染どころか発症する者が出た。
P一郎が感染したとすれば多分初対面の上記イベントだ。
注:
ネタの日記を見ると↓の日付の模様。
43458.diarynote.jp/200503271539290000/
ネタの日記を
自分以外の池袋系参加者4人くらいを含む15人くらいのイベントだったと記憶する。
P一郎に出会った。
「とっておきのネタデッキなんで笑って済ませてください」
「いいですよ、こっちも思いっきりネタなんで」
とお互い挨拶を交わす。
が。数分後、Mox:UとAlexが複数並び、Brainstormの代わりに打たれるA.Recall。
「池袋系2CHDの連中は狂っている」と思われたのは確実だがこっちもそのつもりでこのデッキを駆っている。
だが、これを前のめりに受け止めた彼もどうかしていると思う。
次の池袋からP一郎は2CHDの常連となった。
P一郎との前後関係が判らなくなっているが、ナモ・Rebさんが感染したとすればやはりこの頃だと思う。
ナモは"BigBlue"のミントクラスを一気にそろえたと嬉しそうにしていた。
Rebさんはナモと前後してちょっと見ない間に全部を揃えていた。
自分はこのデッキを「数回限りのネタデッキ」で済ますつもりだった。
2CHD以外のMtGイベントに参加しない自分にとって、2CHDの敷居が上がるのはよくないことだった。たまにこの手のデッキが「お互いの合意の上で辻斬り」するならジョークで済まされる。
しかし、当時の中心的主催であるRebさんや「ご意見番筆頭」のナモがうっかりP9を常用するようになったり、そうでなくとも会場のどこかで必ずP9が見られるような2CHDになってしまうと初見さんがビビッてしまう。
彼らがP9を買ったという話をしても内心危機感があった。
なので彼らの楽しそうなP9談義にはかなりそっけない態度を取った。
数回つかって「Moxを入れればいいじゃない♪」は2CHDには持ち込まなくなった。
池袋に「制限カード」が制定されたのはこのころと記憶する。
また、自分が主催した西東京の2CHDイベントではType-A+レガシー縛りを採用した。
このデッキは使える場所がなくなり、封印された。
<その後>
そのあとはあまり覚えていない。
仕事の都合もあり、2CHDへも疎遠になってきていた。
多分最後にP9を持ち込んだのは2007年の池袋イベントだったはずだ。
http://hrurr.diarynote.jp/200703102214460000/
レギュレーションの制限だったか、Rebさんの作成した
「池袋制限カード」への準拠だったかでT1制限は1枚づつ。
が、うっかり優勝してしまいRebさんが微妙に不機嫌だったと記憶している。
もしかすると、その時に感染した人もいるかもしれない。
が、このころはすでにP9持ちもMMと自分だけではなくなっていたし「ぅららのせいで」ではないと思いたい。
最後に一つだけ。
自分はT1のイベントに参加したことがありません。(え?)
以上が証言になります。
。。。。二郎病に関する証言はまたいずれ。
コメント
僕がP9を揃えたのはMMが持ち込んだデッキを相手にする為、使ってルール上問題無い環境で使うのに文句言っても仕方ないから歩調を合わせる目的で買った。(上の発言と矛盾するが、ルールが壊れているからこそ空気を読まないといけない環境との違い)
相手のエンドにアンリコを打つ快感を知ってしまったからというのは本人の弁。
それと僕はヴィンテージ用のデッキとしてしかP9使ってなかった、相手のデッキパワーに合わせられるようにデッキを大量に持ち込むようになった頃かな。
1回だけルールを悪用してティンカー4投のデッキ持ち込んだけど正直ゲームとしては微妙。無双を楽しまなかったとは言わないけど以降その手のパワーゲームは持ち込まないようにした。
Sol Ring*4の白単はセラマゲドンではなく大天使(VIS)ゲドン。セプチャンを積んでいたかは記憶に無いけど、4E当時のMana Vault搭載型白単を焼きなおしたもの。
ナモさんに説教された時は「たかがアンコ4枚積んだだけでなんでここまで言われるんだろう」と思ってました。
その後、P9を借りてアンリコの味を覚え、Type1に手を出したのはナモさんの証言通り。Type1をやるようになってから、Type1制限カードを4枚積める環境がどういうものか実感しました。
フォローありがとう。
自分が誤解・誤解していた部分が見つかったり
記憶違いがいろいろ思い出せて来た。
上も時間軸がおかしかったりするのでなんか自分の都合のいい様に記憶が書き換わっているとこもありそう。
そのうち修正も入れまする。
Sol ,mox, Vault全部入り。↓
mtg.from.tv/2chd/deck/deckrib_A1.html#A04
間違いは多分自分の初参加の時期と調布の時間軸。
あと千葉の店長はエリエールさんだ。。
当時古いカードを知らないスタンプレイヤーだった自分にとっては、ぅららのデッキは
羨望の対象だったし、毎回どんなカードで酷い目に合わせてくれるのか凄く楽しみだったわ
>もしAPが発症せずとも感染していたとしたらこの頃かもしれない。
間違いなくYesだねw AmnesiaとIthの一件は今でも忘れられない良い思い出
当時は影響されてコモン構築にも情熱燃やしてたし、自分はぅららの影響を多大に受けてたね
>羨望の対象
スタンダードのカードは持ってなかったからね。
自分は逆にスタンダードに情熱を傾けられるAPやネタたちがうらやましくて仕方なかった。
コモン構築は資産があるからと言ってそれをこれ見よがしに使いたくなかったから。
だれもが参加できる2CHDは方向が違えど当時の常連すべての思いだったと思うよ。
Sol Ring x4デッキ(を含む若者に入手しづらいなどあからさまなパワーカードが入っているデッキ)はRebさんの運用が間違ってたと思ってる。
そんなカードは「ジョークの通じる相手」にしか使っちゃダメで、その辺の匙加減は自分も割と気を使ってた。まして主催ならなおさら。
気の毒だなぁと思いつつも、結果として主催自らが首を絞めてしまい、あの制限カードを「意に反して誓約させられた」と思ってる。個人的には「無制限Type-A」をまれに悪用しつつ普段はコモン単でまったり遊ぶ人でいたかったので、池袋の基本が無制限でなくなったのはとても残念だった。(トーナメントのときは制限があったほうがいいと思ってたけどね。)