六曜という暦注がある。
「大安」や「仏滅」という日の吉凶を占うあれだ。
日本人は占い好きといわれるが、この六耀は日本で最も影響力の強い占いの一つではなかろうか。
とくに人生の節目となる慶弔行事の時は殆どの人がこれにならう。
朝のTV占いや○○占いで一喜一憂する人も冠婚葬祭の時だけはなぜかこれにならう。
従うことが日本のマナーとして完全に根付いている。
「大安は全てがうまくいくからこの日がいい。」
「友引に葬式をすると故人に連れて行かれるからダメ。他の日にしよう」
「仏滅はダメだ、縁起が悪い。」
などと真顔で言う。
だがしかしその根拠は?
この六曜という暦、あなたは信じてるか?と聞けば殆どの人はこう応える。
「いや、私はこんなの信じてないよ。でも・・・」
そのあとにこう続く。
「みんなそうしているから」
「だってカレンダーにかいてあるから」
「そうしておけっておばあちゃんが言うから」
「だって仏教なんでしょ?」(←ちがいます。*2)
それが何かわからなくても気味が悪いことはとりあえず忌んでおく。
その行為は周りに気遣っているだけで自分の意志ではないとすることで責任を曖昧にする。(*3)
じゃあ自分はどうなのか。
もちろん信じるに値しないと思っている。
が、年寄りが気にする。
特に慶弔行事は昔からの迷信の中で生きてきた年寄りがあれやこれやと口を出したがる。
うっかり心配させて「又そんな日を。なんでそんな縁起の悪い」と、難を
つけられてしまうとそれが言霊(*5)となって負の作用を引き起こす。
さらに悪いことに事あるごとにそれを持ち出して事態を悪くする。
故に配慮せざるを得ない。
・・・・ああ、鬱陶しい!
こんなもんで自分の自由度を下げられるなんて!!
「大安」や「仏滅」という日の吉凶を占うあれだ。
日本人は占い好きといわれるが、この六耀は日本で最も影響力の強い占いの一つではなかろうか。
とくに人生の節目となる慶弔行事の時は殆どの人がこれにならう。
朝のTV占いや○○占いで一喜一憂する人も冠婚葬祭の時だけはなぜかこれにならう。
従うことが日本のマナーとして完全に根付いている。
「大安は全てがうまくいくからこの日がいい。」
「友引に葬式をすると故人に連れて行かれるからダメ。他の日にしよう」
「仏滅はダメだ、縁起が悪い。」
などと真顔で言う。
だがしかしその根拠は?
この六曜という暦、あなたは信じてるか?と聞けば殆どの人はこう応える。
「いや、私はこんなの信じてないよ。でも・・・」
そのあとにこう続く。
「みんなそうしているから」
「だってカレンダーにかいてあるから」
「そうしておけっておばあちゃんが言うから」
「だって仏教なんでしょ?」(←ちがいます。*2)
それが何かわからなくても気味が悪いことはとりあえず忌んでおく。
その行為は周りに気遣っているだけで自分の意志ではないとすることで責任を曖昧にする。(*3)
じゃあ自分はどうなのか。
もちろん信じるに値しないと思っている。
が、年寄りが気にする。
特に慶弔行事は昔からの迷信の中で生きてきた年寄りがあれやこれやと口を出したがる。
うっかり心配させて「又そんな日を。なんでそんな縁起の悪い」と、難を
つけられてしまうとそれが言霊(*5)となって負の作用を引き起こす。
さらに悪いことに事あるごとにそれを持ち出して事態を悪くする。
故に配慮せざるを得ない。
・・・・ああ、鬱陶しい!
こんなもんで自分の自由度を下げられるなんて!!
*1:「占いは宗教じゃないから」らしい。
*2:旧暦だと2月が必ず友引で始まることや、釈迦の入滅とされる2/15が旧暦で必ず仏滅に当たることから仏教との関連を連想する人が多いという。
しかしこれはたまたまで「仏滅」という字はもともと「物滅」であったし
そもそも仏教では占いを禁じている。
ゆえに仏教側の正式な立場としては「仏教とは関係ございません」なのだそうだ。
じゃあ仏教じゃなければなんなのかというと実はよくわかっていないらしい。
つまり意味も発祥も良くわかっていないものが日本では根付いているのである。
*3:大祓という祝詞(のりと)を思い出してしまった。
読んだ事がある人は多くないかもしれないが、簡単に言うと「人が起こした罪を沢山の神様がこねくり回して最後はどこかに失ってチャラにしてね♪、という内容。
*5:言霊といえば宗教臭いが要するに言葉にすることによる暗示である。
縁起が悪いからそうなるのではなくその言葉が縁起を悪くさせているだけなのだ。
集団のなかでうっかり息の合わない言葉を吐く者がいればその者の意識が全体の結果を悪い方向に引きずる。
ゆえに負の言霊を吐かせないために「自分が信じていなくとも配慮」するのが日本の慶弔のしきたりの基本なのだ。
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