互いに理屈でない部分の折り合いをどうつけるかが問題なのです。

つまり。何が問題なのかと。
自分の中では十字架のところは相容れないから「十字架とアーメンは嫌だ」、
といったのが2月頃。

ちなみに神式を要求したわけではなく、むしろ人前で行ないたいと言ったわけだが、
本人は神聖な儀式ゆえ人前というスタイルがあるというのは頭になかったようで
ひどくパニックを起こしていた。
(それ関しては2/2の日記を見てもらえば判るが正直笑うしかない)

もちろんこの一瞬に関していえば、世の中の全ては女性の為にできていて
男はただの飾り物に過ぎない。

だが、その一瞬のためとはいえ自分なりの信仰を汚すのは間違っているし、
信仰を貫くために夢を砕いてよいか、夢を叶えるために信仰を汚して良いか
など天秤にかけられる事ではない。

ゆえに最大限譲歩できるところをなんとか理屈をつけて折り合う
ため、自分なりの「信仰」がなにであるのか整理が必要だ。
結局互いに何が譲れる譲れないという基準を決めかねていたから
半年経っても揉めているわけだから。

↓自分なりのまとめ。

1.自分は日本人であり、日本の多くの神々を信仰している。
 日本の神々は八百万であり、自然そのものであり、多くの我々の祖先であり、
 音であり、日常における現象の一部であり・・・。
 故に「唯一神」以外を祀ることを認めないThe Godとは相容れない。
2.The Godへの宣誓、賛美、願掛けは口にできない。
 日本人の多くは口から言葉を発するすることが、言霊として作用し何らかの
 結果をもたらすことを知っている。
 自分がThe Godへの契約を口にすることでThe Godとの関係を
 拾いたくない。
3.日本の神は多くが自然そのものであり人を特別視したりすることは
 少なく、祀ったり障ったりしない限り積極的に関わろうとしない。
 が、The Godは人を特別視し戒律を与えたという。
 それに障るものには祟りがある。
4.自分の信仰を侮辱されたくないのと同様、The Godを信仰する多くの
 人々の信仰を踏みにじる無礼はできない。
 まして寺院や教会などの聖地で彼らの神へ「誠意のない誓約」を口に
 するなど敬虔な信者である彼らへの侮辱だと思っている。

一旦ここまで。
どこが譲れて譲れないかというのはこれでおおよそ線引きしてる。
現状はその一連の流れの中で何が決定的にダメなのかという部分で
各方面に相談したり情報収集したり。

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