二番目はテロ予告。
2006年11月10日本当は一番目もそうなのだけれど。
一番目はそれでも被害者による捨て身の主張にみえた。
なので本来は社会を混乱させることであったも同情の余地があると思った。
けれど。他人を殺して自分も死ぬとかいうのはただのテロ予告だろうが。
一番目に便乗した残りの何通かはどれも悲痛な叫びであることには違いないが手の出ないことに横槍をこれ以上入れたくないので以下略。
■なんと空しい。
で、一番目のこどもが住んでいると思われている東京との対応。
東京都教育委員会教育長からのアピール(↓東京都教育委員会へ直リン)
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/press/pr061108.htm#bessi
より引用。
支えてくれるものがいないから、助けてくれる人がいないからいじめられているのだ。
(支えがついているならいじめるもんか。抵抗できない弱い奴とわかっているからいじめるのだ。チクリそうな奴には「チクったら一人のときにコロス」などと言えば自主性と勇気を潰せる。いじめられっ子を身動きできなくするなんて簡単だ。)
彼らは力強く生きられないのに、「弱さ」を大人が認めてくれないから恥ずかしくて言えなくなっているのだ。
(「がんばれ」というのは「弱いのはダメで恥ずかしいことだ」ということだ。この言葉は叩けば強くなる奴に言うことで、弱い奴やいじめられて叩かれて疲弊している奴に必要なのは己の弱さと戦わせることではない。ともかく大人になるまでに強くなれればいいのだよ。)
勇気を出して先生に言ったときの反応も殆どの子なら知っている。
(クラスで問題になったりすると結局そいつはさらに孤立するからね。)
大人(先生)が信用できるなら彼らはどんなに幸せか。
学校の努力などこの程度でしかないということを彼らは知っている。
助けてもらえないことを子供達は知っている。
(自分も助けなかったし、人に助けてもらえなかったし、人を助けてもらえないようにもしました。)
乗り越えられない苦しさや悲しさを目の前にしている子に「素晴らしい人生など」見えてはいない。
これを書いた男が見ているのは上司や世間の目や大人の目であって子供の目ではない。
子供の目線に戻ってもう一度出直して来い。
■不謹慎で申し訳ないが。
これを見て思い出したのはゴルゴ13でゴルゴが刑務所にぶち込まれるお話。
その刑務所には「希望を持て」という看板がかけられている。
それがどういうことかと尋ねるゴルゴ。
「ほう。お前は囚人の分際で、俺に質問するのか。いいだろう、答えてやろう。こんなところに来るやつの心理は不思議な反応を示す。死ねといえば生に執着する。希望を持てといえば、あきらめる」
・・・何が言いたいって?
一番目はそれでも被害者による捨て身の主張にみえた。
なので本来は社会を混乱させることであったも同情の余地があると思った。
けれど。他人を殺して自分も死ぬとかいうのはただのテロ予告だろうが。
一番目に便乗した残りの何通かはどれも悲痛な叫びであることには違いないが手の出ないことに横槍をこれ以上入れたくないので以下略。
■なんと空しい。
で、一番目のこどもが住んでいると思われている東京との対応。
東京都教育委員会教育長からのアピール(↓東京都教育委員会へ直リン)
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/press/pr061108.htm#bessi
より引用。
子どもたちへ
みなさんは、いかなる理由があったとしても、自らの命を絶ってはいけません。辛いこと、苦しいことに耐えられなくなったときは、決して一人だけで解決しようとしてはいけません。
人間は決して強いものではありませんし、一人で生きられるものではありません。多くの人たちに支えられて成長し生きていくのです。互いに支え合っていくのが人間です。
困ったときは、家族や周りの人に助けを求めてください。悩みを打ち明けることは、決して恥ずかしいことではありません。あなたが弱いということでもありません。
みなさんの思いを受け止めることは、わたしたち大人の責任です。大人を頼りにしてください。
力強く生きてください。素晴らしい人生を送ってください。つらいこと、悲しいこと、苦しいことを乗り越えて素晴らしい人生を送ってください。決して、自らの命を絶ってはいけません。
支えてくれるものがいないから、助けてくれる人がいないからいじめられているのだ。
(支えがついているならいじめるもんか。抵抗できない弱い奴とわかっているからいじめるのだ。チクリそうな奴には「チクったら一人のときにコロス」などと言えば自主性と勇気を潰せる。いじめられっ子を身動きできなくするなんて簡単だ。)
彼らは力強く生きられないのに、「弱さ」を大人が認めてくれないから恥ずかしくて言えなくなっているのだ。
(「がんばれ」というのは「弱いのはダメで恥ずかしいことだ」ということだ。この言葉は叩けば強くなる奴に言うことで、弱い奴やいじめられて叩かれて疲弊している奴に必要なのは己の弱さと戦わせることではない。ともかく大人になるまでに強くなれればいいのだよ。)
勇気を出して先生に言ったときの反応も殆どの子なら知っている。
(クラスで問題になったりすると結局そいつはさらに孤立するからね。)
大人(先生)が信用できるなら彼らはどんなに幸せか。
各学校が子供の思いをどのように受け止めているか。
東京都。まぁ自分の学校に泥を塗りたくはないよな。
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/press/pr061109s.htm
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/press/pr061109a.htm
となりの埼玉県。まぁこれ見りゃ普通は呆れるよな。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/stm/20061110/lcl_____stm_____002.shtml
http://www.saitama-np.co.jp/news11/10/26x.html
学校の努力などこの程度でしかないということを彼らは知っている。
助けてもらえないことを子供達は知っている。
(自分も助けなかったし、人に助けてもらえなかったし、人を助けてもらえないようにもしました。)
乗り越えられない苦しさや悲しさを目の前にしている子に「素晴らしい人生など」見えてはいない。
これを書いた男が見ているのは上司や世間の目や大人の目であって子供の目ではない。
子供の目線に戻ってもう一度出直して来い。
■不謹慎で申し訳ないが。
これを見て思い出したのはゴルゴ13でゴルゴが刑務所にぶち込まれるお話。
その刑務所には「希望を持て」という看板がかけられている。
それがどういうことかと尋ねるゴルゴ。
「ほう。お前は囚人の分際で、俺に質問するのか。いいだろう、答えてやろう。こんなところに来るやつの心理は不思議な反応を示す。死ねといえば生に執着する。希望を持てといえば、あきらめる」
・・・何が言いたいって?
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