自殺予告が伊吹文明文部科学相宛てに。
2006年11月7日驚いた。そして心が痛くなった。
でもこの子には気持ちを自分以外の誰かに届けた勇気があった。
まずはそのことを誉めてあげたいと思っている。
うまい言葉を綴れなくて誤解を有無かもしれないが、それでも一応。
■「君は一人じゃない、だれかに相談して欲しい」
言うのは簡単だが、いじめられている子の多くはいじめられることで
もともと持っていた「気持ちを伝える勇気」をへし折られてしまっている。
彼らはいじめられることでクラスメイトはもちろん、教師、親、兄弟で
さえ話せないように手足をもがれてしまうのだ。
いじめられた心は絶望の底で、一人で泣いている。
いじめられている子にとっていじめられているということが話しづらいのは、
いじめられているということが自分の弱さをさらけ出さなければ人に話し
づらいことが多分にある。自分の気持ちを裸にしなきゃ話せない。
それはめちゃくちゃ恥ずかしいことだ。
ただでさえいじめられて恥ずかしい目に合わされているのに、助けを求める
ためにさらに恥ずかしいことをさらけ出す相手を増やさなくてはならない。
勇気のために尊厳をひとつ捨てなきゃいけない。
もしかするとそれが生きていくための最後の尊厳かもしれないのに。
■「勇気をもって」
「勇気をもて」なんて言葉は、弱いことを認めなきゃならなくなるまで
追い詰められ、くじけてしまったた心にはなんの糧にもならない。
崖の下に突き落とされて骨を折ってしまった人間に「さあ、立ち上がって」
というのに等しい。
絶望の底に突き落とされた傷だらけの彼らは底から這い上がる術も、声を
上げる勇気も折られてしまっている。
傷だらけになった裸の心を助けるには、誰かがこのことに気づき、
その絶望の底に自ら降り、心を裸にして抱きしめ、自分の服を脱ぎ捨ててでも
まず温かい服を着せ、慰めてやらなければならない。
その子が汚され傷だらけにされた裸の心を晒しても心の尊厳を傷つけられ
ないよう介抱してやらなければならない。
助ける者にはそれこそ無条件、無限の愛が必要だ。
勇気をもてと励ます前に拠り所がほしいのだ。「私がいるよ」と。
■最後の手段
いたずらでないとすればこの子はきっと親にもろくに取り合ってもらえず
一人のまま傷つけられつづけ、そして自殺さえも考えている。
でも一人になりたくなかった彼は、最後の「気持ちを伝えられる相手」
として文部科学相を選び、声を発した。
一人だった彼にとって気持ちを伝えられる最後の人はこの人しか
いなかったのだ。
名前を出せなかったのは名前を出すことでいじめられていることが
さらに多くの者に知られてしまうと思ってのことかもしれない。
あるいは助けて欲しいのは自分だけじゃないという意味もあるだろう。
でも、現実として彼はこの日本のどこかで傷つき絶望の箱に閉じ込め
られた状態で助けを待っている。
何が何でもこの子を見つけ、助けてやってほしいと思う。
でも名前を出さなかったこの子を助けることは個人を特定し助けること
だけではないと思う。
いじめを受けている多くの子を助けるための社会作りが求められていると
いうことだ。
一瞬で変わるとは思えない。でも早急にそうならなくてはならない。
そして助けられなかったら・・・・。
でもこの子には気持ちを自分以外の誰かに届けた勇気があった。
まずはそのことを誉めてあげたいと思っている。
うまい言葉を綴れなくて誤解を有無かもしれないが、それでも一応。
■「君は一人じゃない、だれかに相談して欲しい」
言うのは簡単だが、いじめられている子の多くはいじめられることで
もともと持っていた「気持ちを伝える勇気」をへし折られてしまっている。
彼らはいじめられることでクラスメイトはもちろん、教師、親、兄弟で
さえ話せないように手足をもがれてしまうのだ。
いじめられた心は絶望の底で、一人で泣いている。
いじめられている子にとっていじめられているということが話しづらいのは、
いじめられているということが自分の弱さをさらけ出さなければ人に話し
づらいことが多分にある。自分の気持ちを裸にしなきゃ話せない。
それはめちゃくちゃ恥ずかしいことだ。
ただでさえいじめられて恥ずかしい目に合わされているのに、助けを求める
ためにさらに恥ずかしいことをさらけ出す相手を増やさなくてはならない。
勇気のために尊厳をひとつ捨てなきゃいけない。
もしかするとそれが生きていくための最後の尊厳かもしれないのに。
■「勇気をもって」
「勇気をもて」なんて言葉は、弱いことを認めなきゃならなくなるまで
追い詰められ、くじけてしまったた心にはなんの糧にもならない。
崖の下に突き落とされて骨を折ってしまった人間に「さあ、立ち上がって」
というのに等しい。
絶望の底に突き落とされた傷だらけの彼らは底から這い上がる術も、声を
上げる勇気も折られてしまっている。
傷だらけになった裸の心を助けるには、誰かがこのことに気づき、
その絶望の底に自ら降り、心を裸にして抱きしめ、自分の服を脱ぎ捨ててでも
まず温かい服を着せ、慰めてやらなければならない。
その子が汚され傷だらけにされた裸の心を晒しても心の尊厳を傷つけられ
ないよう介抱してやらなければならない。
助ける者にはそれこそ無条件、無限の愛が必要だ。
勇気をもてと励ます前に拠り所がほしいのだ。「私がいるよ」と。
■最後の手段
いたずらでないとすればこの子はきっと親にもろくに取り合ってもらえず
一人のまま傷つけられつづけ、そして自殺さえも考えている。
でも一人になりたくなかった彼は、最後の「気持ちを伝えられる相手」
として文部科学相を選び、声を発した。
一人だった彼にとって気持ちを伝えられる最後の人はこの人しか
いなかったのだ。
名前を出せなかったのは名前を出すことでいじめられていることが
さらに多くの者に知られてしまうと思ってのことかもしれない。
あるいは助けて欲しいのは自分だけじゃないという意味もあるだろう。
でも、現実として彼はこの日本のどこかで傷つき絶望の箱に閉じ込め
られた状態で助けを待っている。
何が何でもこの子を見つけ、助けてやってほしいと思う。
でも名前を出さなかったこの子を助けることは個人を特定し助けること
だけではないと思う。
いじめを受けている多くの子を助けるための社会作りが求められていると
いうことだ。
一瞬で変わるとは思えない。でも早急にそうならなくてはならない。
そして助けられなかったら・・・・。
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