すこし前のネタの日記から。

http://43458.diarynote.jp/201208062150437277/

>ぅららの罪を再確認
>・うららと言う名の蛇が2chdメンバーに禁断の果実を与える。
>以後パワー9病と二郎病という二大疾患が2chd全体に広く蔓延する

この件に関する証言。
事件モノのドラマのように「10年前のあの日」を正確に記憶するほどの脳味噌は持っていない。なので、かなり記憶があいまいなところでの話だがそのころの記憶と感情を可能な限り正直に書く。

 二郎そのものに関しては5/22の日記に割と詳しく書いてあるので割愛する。
http://68000.diarynote.jp/?day=20050522

池袋2CHDの夕食会として二郎に皆を誘ったとき、何人かは既に二郎という食べ物を知っていた。P9病も同様だと思うが、「自分が初めてではないがこのコミュニティに流行させたことが」、もっと平たく言えば「ネタを二郎に誘って池袋2CHDの夕食会定番選択肢にしてしまった」ということが自分の「罪」なのだと理解している。


■経緯。
過去日記を追いかけても2CHD関係者の多くが2005年ころから始めておりあまり以前にさかのぼることができない。
先日記事同様、記憶を頼りに経緯を追う。

まずはDNを新しいほうから二郎のキーワードを頼りにたどってみた。

2005/8/28
http://hrurr.diarynote.jp/200508282203030000/
巴、デスソースを二郎に1/6瓶ぶち込んで爆死。

2005/5/22
http://68000.diarynote.jp/?day=20050522
大阪のNether氏が爆死。
このときのネタと巴の反応を見る限りNether氏を自分たちと同じ目に・・・みたいな雰囲気があったと記憶するから多分ハマり始めて間もないと思われる。




残念ながら自分のDNが2005/4/26~なのでそれ以前は不明となっている。
掲示板も夕食会のことなどを書くと「馴れ合いウザイ」と激しく叩かれたせいか夕食会のことはほとんど書かれていない。
(このせいでDNへの移行が進んだような気もする。結果として2005年以降掲示板のレポが過疎になった。)




2005/4/26
掲示板に池袋二周年が開かれている。
このときの二郎に関する記述は見つけることが出来なかった。

さらに過去にさかのぼる。

2005/03/03
ネタの日記「おお二郎、二郎はどこじゃ」
http://43458.diarynote.jp/200503031923510000/
ネタ蒔きが二郎にハマった、と書いている。
つまりこれ以前の池袋イベントが「その日」である。

推測するに。
おそらく2005/02/26の池袋2CHDの帰りではないかと思う。
(多分正確なところはネタが教えてくれるはずだ。)
アイスクリームの美味しい季節だったのは覚えているので冬という時期も大体合致している。(そういう話題もその日出たはず。)

■公式化。
 上述の通り記憶は定かではない。
 たしか冬だったと思う。

池袋2CHDは帰りの食事会がすっかり定例化していた。
大抵は勤労福祉会館近所のカードショップをうろついた後、サイゼリアで食い散らかして帰る、というパターンが多かった。
ただ、MtG以外にあまり金をかけるつもりがなかった自分は夕食会への参加率もそれほど良くなかったし、サイゼリアもそれほど好きでもなかった。(自転車で20kmを帰るのに満腹は邪魔だった、というのもある)なので夕食会のことはあまり覚えていない。(記憶に残っているのはキャベツのピクルスくらいか)

そんな池袋2CHDの帰り道。
どこに向かうともつかぬ感じで夕食組常連が福祉会館を後にする。
自転車で池袋から当時アパートのあった練馬の石神井に向かう自分もたまたま方向が皆と同じなのでみんなとだべりながら歩く。
いつものように
「ねー。今日どこいくー?ゼリア―?」
などという始まりにたまたま
「ラーメンとか行かねー?」
と誰かが返す。
「この辺だと屯ちん、光麺、ばんから・・・
 あー。そういや二郎があるな。二郎は腹いっぱい食えるよ。」
なにしろ2CHDの常連は割と巨漢・・・というよりデブが多い。
デブ=大食いの短絡思考で二郎の名をなんとなく出した。
なにそれ?という多くの反応に「二郎かよ!www」という笑いが混じる。
つまりその誰かはすでに二郎を知っていた。

悪い癖でふつふつといたずら心が湧いてくる。
「いや、コアなファンがいて有名な店なんだけどさ。
 トッピングとかタダなんだけど量がすごいの。ここから300mほど。」

二郎を知る賢明な人たちとラーメンじゃない気分の人はさっさとサイゼリアにすると言い出す。
二郎に興味のある一行は福祉会館から南へ。
たしか、巴、マメー、ネタ、ナモ、Rebさん、AP、小泉・・・といった面々だったと思う。わりと夕食会の会場を左右する面々だった。
(ナモかRebさんは「賢明組」だった気もするし「二郎の攻略法」を知っていてそれを話題にした気もする。)

池袋東口五差路を渡る。
自分はそのころ既に消化器が以前より弱くなっていてジロリアンを卒業していたつもりだが、言い出しっぺの都合後戻りはできない。

「大盛り食ったらおごったるよ」
「完食むりちゃう?」
「二郎とラーメンは別物」
などと適当に煽った上で、
「とりあえず二郎行くには覚えておく呪文があるんよ。
 トッピングは?って聞かれたら『全マシマシで。』っていえばいいよ。」
「いやそれダメだろ!www」と突っ込みも入ったが、その彼も全然止める気はなかった。

二郎に着く。
しばらく並んで店内を覗くうち、二郎を知らなかった面々の顔色が変わる。
巨大な丼になみなみと入ったラーメンにてんこ盛りのモヤシ。
彼らの想像していたものとあまりに違う。
二郎の常連たちは黙々と食し、空になった丼を何事もなかったかのようにカウンターに上げる。
「マジ?wwww」
あきらかに困惑していた。
飄々としていたのはマメーのみ。

「いいか?食券は「大」、呪文は『全マシマシ』で。なwwww」

何人かにロットが分かれる。
自分は当然「小」。
「ぅらら、卑怯だろ。それ。」
「しらんwwがんばれ。」

そして彼らの前に出てきたのはご存知のアレ。

これを黙々と食せ、と?





この日たしか最初に大盛りをスープ込みで完食し、店を出たのはマメーか小泉。
(「痩せの大食い」という言葉を覚えているのでこの二人のどちらかのはず。この二人のどちらかは大盛りを食べた後、さらにコンビニでアイスを買っていたように記憶する。)
二郎を知らなかった連中は散々な顔色で店を出る。
必死に完食しようとして爆死したのはAPを含む3人ほど(だっけ?)。
最初に店を出たマメー(?)に遅れること約30分。
顔色が完全に悪くなっていた。

自分は・・・当然、という顔で「堂々と残した」。





全員が店を出た後、わりと散々な評価を浴びせられる。


・・・あー。こりゃ次回はないな。


そう思っていた。
が、しばらくしてこの日の参加者の何人かが二郎中毒に感染していたことが判明する。池袋2CHDの夕食会の会場を左右する面々の感染は致命的だった。

二郎が池袋2CHD夕食会の定番の一つに加わった。

以降、数回にわたって「二郎組」の特攻が続くことになる。

以上。

コメント

Koizumi
2012年8月23日22:30

>最初に大盛りをスープ込みで完食し、店を出たのはマメーか小泉。
大盛り完食してたのは痩せの大食いと書いてマメー。
ぶたダブル完食後にアイス食ってたのは自分。

最初に連れていって貰った時は、初めてのドカ盛り系の店だったので「スゲェ!」って感動したのを覚えてる。

ナモ
2012年8月24日9:39

一応自分は以前に経験したことのある組だったかな
確かぶた普通頼んでなんとか食べきった。

二郎は科調たっぷりのせいか不思議にリピートしたくなるんだけど、当時は途中からゼリヤ組に逃げてたなー。駄弁ってたら二郎組がゼリヤに流れてきてデザート頼んでたけどよく入るもんだと感心してた覚えがある。マメーはそこでさらにミラノ風ドリアを食べてたw

はるぅらら
2012年8月24日14:22

>Koizumi
やっぱりマメーかw
>ナモ
もしかすると「ヤサイをよけてスープを吸う前に麺を食べ、口直しに野菜を・・・」を語っていたのはナモ??

・・・・この件についてはP9にせよ二郎にせよ年齢差の離れている年下に強い刺激を与えると影響が強いので、年上は自重しろってことだと理解した。

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